百兎様より
不器用な方法
◆プロローグ:「見失った人」
私は必死に後を追う。
後ろ姿を見失わないように、全速力で駆けていく。
教室からどっと溢れ出る、人混みが邪魔だわ。
誰も私の行く道をふさがないで、私は置いてけぼりにされてしまう。
足がもつれて、バランスを崩す。
人混みが支えになって転びはしなかった。
その代わり、見てしまった。
あいつを、見失ってしまった瞬間。
曲がり角の奥に、後ろ姿が消えていく。
私は叫んだ。
「シェゾ!」
伝わることのないまま、人混みだけが流れる。
私は口をへの字に曲げて、手の中にある紙の束を筒状に丸めた。
「あいつ〜、生徒がレポートを渡す間くらい教室にいなさい!」
そして、担任の新任教師に悪態を一つ。
そうでなければやっていけない。
広がる孤独感は拭えないまま、いつも孤独な男さえ人ゴミに消えていく。
私は置いてけぼり。
魔導力のない私にでも、どうか誰か振り向いて。
虚しく、冷たい風だけ、私の心に吹き抜けた。
俺が魔導学校の教師になってから、早数ヶ月が経つ。
魔導学校といえば、魔法を教える学校の中でもトップクラスの学校だ。
世界を恐怖に叩き落とす役を担う闇の魔導師を自称する、俺、シェゾ・ウィグィィも、
同校出身だったりする。
つまり良かれ悪かれ、トップクラスの魔導師を生み出してきたわけだ。
俺は闇に取り憑かれた。
名前の意味は闇。
背負う運命は闇。
共にあるのは闇。
相棒である意志を持った剣でさえも、闇の剣、闇だ。
なのに俺が人間と、しかもガキと接することを強要されるこの職に就いたのは、
ひとえにある小娘のせいである。
純粋な魔導力を持つ小娘、アルル。
その魔導力欲しさに近付いてみれば、とんだ奴だった。
アルルを繋ぐ枷はない。
魔物とか人間とかお構いなしに、「友達」にしてしまう。
どんなに辛くても、自分のルールは消して破らない。
全力で突っ走る、おとぼけ娘だ。
多分俺は、アルルに枷を外された。
闇が薄らいで、光が差し込んでくるようだった。
気が付けば、勉強を教えろだとか言われて、引き受けてしまった。
いつの間にか、アルルが在学する魔導学校の教師にまでなってしまった。
外された枷は、俺を判らない所まで連れて行く。
俺はぬるま湯につかりながら、流されているような気分だった。
丁度今、人混みの流れが俺を運んでいくように。
「シェゾ!」
人混みの中から、声が聞こえた。
知った声だ。
微かに首を動かし、視線の端に姿を捉える。
正確には、彼女の象徴だけが見えた。
青い髪。
「ルルー?」
しかし彼女の姿は、すぐに見えなくなった。
戻ろうとした。
人混みが邪魔だった。
だけど圧倒的な流れに逆らうことは出来ない。
教室のでかい窓ガラスが、一枚丸ごと割れる事故があったため、
人は一気に教室から流れ出てくる。
流されてばかりいる弱った俺には、食いしばるだけの力がなかった。
見失う。
俺の中に、その文字がでかでかと浮かび上がっていた。
◆1:届かない思い
私は始終、目の前にある顔を睨んでいた。
「ルルーさん……目が怖いで〜す」
「当たり前よ、睨んでるんだもの」
恐る恐る紡がれた言葉を、キッパリ断ち切る。
アルルが手に持つトランプカードを一枚引いて、机の上に投げ捨てた。
「上がり」
ここは私の部屋。
魔導学校の学生寮棟にある一室である。
アルルは毎日、夕食までの空き時間に決まって私の部屋に押し掛けては、
遊び倒してから一緒に食堂に行く。
今日はアルルが持参したトランプカードで、ババ抜きをしていたところだ。
もちろん、勝利の女神である私がほぼ全勝している。
「うえ〜ん、ルルー強いよ〜」
呻いたアルルが、机に上に散らばったカードの中に顔を埋める。
この動作が、一体どれだけ続いたことか。
第一、ババ抜きしか判らないからって、ずっとそればかりやらないで欲しいわ。
つき合う方の身にもなってちょうだい。
「さ、いい加減気が済んだら帰りなさい」
言うと、アルルはムスッとした顔で私を見上げた。
「何かさ、ルルーさっきから機嫌が悪くない?」
「そうよ」
見れば分かる事実に、私は素っ気なく答えた。
「何で?」
案の定、聞き返してくる。
……あ〜、もう。
この子は、「そっとしておく」という選択肢を知らないのかしら。
「レポート、せっかく書いたのに渡し損ねたのよ」
言って、持ち歩いていた紙の束を机に上に乗せる。
結局持ち歩いているかいなく、このレポートを宿題に出した本人のシェゾとはまだ会っていない。
最近シェゾをすぐに見失うようになった。
以前は誰も寄せ付けない闇の魔導師は、すごく見つけやすかったのに。
すぐに流されるようにふらふらと、どこかへ行ってしまうけれど、
それでも孤独は見つけやすかった。
今は、違う。
周りに溶け込んでいる。
まるでぬるま湯につかりすぎた感じ、すっかり不抜けたシェゾは、見ていて滑稽だわ。
もちろん、その方がやりやすいし、周りもそう言っている。
そうよ、別に、私は構わない。
あなたが何処へ行こうが、関係ない、ただ。
私だけ止まっている気がして、嫌なの。
「ルルー」
声の方へ視線をやれば、いつもせわしなく動いているアルルが笑っていた。
「じゃ、ボクがシェゾに渡しておくよ!」
夢に向かって、魔導師になりたくて、いつも前に進んでいるアルル。
休んでいても、それはアルルにとっては前進。
止まることはない、いつも追いかけている。
そして、それを追ってくれる人がいて、孤独なんか無いわ。
ああ、私は停滞してばかり。
追っても、けして追いつくことはない。
見向かれもしない。
どれだけ前に進もうとも、何も近付いては来ない。
私は全てを捨ててまで追っていくのに、距離はどんどん大きくなっていく。
いつの間にか、独りぼっちになってしまうんでしょう?
私は散らばったカードをまとめていく。
「良いわよ、自分で持っていくわ。
どうせアルル、まだレポート書いてないんでしょう?」
「酷いな、レポートは……確かに出来てないけど……カンニングはしないもん!」
頬を膨らませて、子供みたいにアルルは怒る。
膨大な魔導力を有していて、孤独とは無縁で、いつも笑っている。
妹みたいに可愛いアルル、私のそばにいる人間の一人だから、嫌いじゃないわ、むしろ好きよ。
だけどね。
私には、愛している人がいるのよ。
アルルばかりを見ている、世界で一番強くてすてきな人。
サタン様。
誰よりも好き、何よりも好き。
だけどサタン様は、アルルを追いかけてばかり。
アルルのことは好きだけど、嫉妬の渦が押し寄せるの。
ごめんなさい、妹みたいなアルル。
私はあなたが嫌いになりそう。
「ごめ……な……」
「ルルー?」
それが私の、限界でした。
「ルルー?!」
私の頬を涙が伝い、あふれ出てくる。
焦点が上手く合わなくて、狂った眼差しをアルルに向けた。
「ごめんなさい」
追いかけるばかりでは辛いんです。
あなたが、振り向いてくれないという現実から、逃げ続けるのが辛いんです。
誰も、私と一緒に歩いてくれる人がいないのは。
寂しいのです。
誰も、何もいらないと、全てを捨てて走り去ったのは自分。
何もいらない、何もいらない。
サタン様、あなたを愛する気持ちだけ、ルルーはいつも抱えています。
なのにあなたは私の遠くにいて。
私は独りぼっちになってしまいました。
俺は、校長室へ行くために歩いていた。
呼び出されたからだ。
理由は簡単に想像できる、俺のクラスの窓が割れたのは今日だ。
窓ガラスはなるべく早く直す必要がある。
校長室に行くというものは、学生時代の思い出からか、あまりいい気がしない。
昔、既に知っている知識ばかりを習わなければいけない授業にうんざりして、
逃げ出したことがあった。
その後三日ばかり帰らなかったら、後で校長室に呼ばれ、こっぴどく怒られたのだ。
十四歳の頃、闇の魔導師としての運命を継承してからは、もう幾度と無く呼び出された。
その頃から校長が変わっていないのも嫌な理由だ。
だから今、俺の足取りは重い。
夕食の時間が近いせいか、小腹も減ってきた。
ここのところはカレーばかり食べていたから、たまには他の物でも喰おうかと思う。
……カレーが一番安いんだ、生徒と違って自費で買ってる教師は辛い。
後一つ角を曲がれば校長室に続く階段に出る所で、人影が目の前を横切った。
青い髪、見間違えることはない。
ルルーだ。
声を掛けようかと口を開くが、嫌な物を見た。
涙だ。
女の涙も、妙に好かない。
闇の魔導師になって、幼馴染みの少女に散々泣かれたせいか。
子を殺したときの母親の叫びが、五月蠅かったのを覚えているせいか。
結局俺は、声を掛けることなく終わった。
しばらくその場に、佇んでいた。
ルルーの向かった方向は、教室のある棟だから、自分のクラスにでも向かったのだろうか。
無意味なことを考えつつ、俺はボンヤリと、ルルーの消えた廊下を眺めていた。
◆2:自問自答
俺は、出された紅茶を一口流し込んだ。
程良い苦みがあり、何より口に含んだ瞬間の香りが深みがあって良い。
心が落ち着いてくる、いや、研ぎ澄まされていく。
心の深部を探るような、そんな力を与えてくる。
紅茶は今までリラックスしたいときに意識して飲んでいたが、
こういう飲み方もあったと今更ながらに思い起こす。
普段魔力以外には無関心になっているせいで、いまいち忘れがちだった。
後で紅茶を出してくれたキキーモラに、茶の名前でも聞いておこう。
向かいに腰掛ける人物も、俺と同じように紅茶をじっくりと飲んだ。
その動作が一区切り着いたことを見計らって、俺は口を開く。
「で、俺をここに呼んだのは何の用でだ?
うちのクラスの窓ガラスが割れたのは、言っておくがまものが衝突しただけだ。
透明なガラスに気づかなかったんだろう。
誰も大して怪我をしなかったし、魔物も追い返した。
ガラスも近い内に俺が直しておくとして、問題はないはずだぞ、サタン校長先生」
宝石のように輝くエメラルドグリーンの長髪に、
ピジョン・ブラットの如く純粋な赤を宿す瞳。
そして禍々しくねじ曲がる二本の角を有した男。
奴の名はサタン、この世界で間違いなく最強たる力を持つ者だ。
魔導学校の校長もやっており、魔導学校の教員である俺にとっては
一応上司に当たる人物だが。
「うむ、原因の方も、その後の処理も、大体問題は解決済みだ。
それにしても……校長だと思っているなら、もう少し礼儀を持った態度を取れ」
この通り、接し方はあまり教師になる以前、
何度か話をしたときより変わってはいない。
表面上の付き合いごときに、左右される俺ではない。
果たして、本当にそうか?
カップの取っ手を持つ手が、震えた。
落ち着かずに、ソファーに深く座り直す。
どうもしっくりこない。
もう一度紅茶を飲んで、心理を落ち着かせようとした。
「まぁ、今回の用件は、仕事と私事、半々だ」
知ってか知らずか、サタンは話し始めた。
「ルルーがな、最近どうも苛立っているようなのだ」
ついさっき見かけた人物の名に、俺は少し反応を示す。
「自意識過剰のつもりはないが、十中八九私が原因だろう。
私がルルーの健気な努力に対し、何の反応も示さないのに、
業を煮やしてもおかしくはない。
まだ、彼女とて子供なのだから」
この魔王は、一応周りのことが見えているらしい。
ルルーの苛立ちの原因といえば、誰がどう考えても大抵はサタンがらみである。
あまりにもルルーに対してノーリアクションだったもんだから、
まさか気づいてないのかとすら思ったが、そうではなくてよい限りだ。
「そこで、お前に手を打って欲しい」
ようやく本題、俺は眉をひそめた。
俺がルルーのご立腹に一体どうしろというのか。
サタンはいったん足を組み直した。
「私は立場上、ルルーに期待させてはいけないのだ。
お前は知っている通り、私はこの世界の“要”だ。
あらゆるものを背負い、制御している」
そう、魔導世界に住まう大半の者は知らないが、俺は知っている。
サタンの馬鹿でかい魔導力は、どんなにカムフラージュしようとも、
俺の目にはバレバレだ。
だいだいはサタンの魔導力がくだらない方に働いているのだけを見て、
魔導力だけでかい奴のように思われているようだ。
肝心なのは、その他、その先。
何のために奴は動くのか、重要なのはそこだ。
判る者だけが、知る領域。
サタンとは、そういう人物だ。
「無論、ワタシにも限界は来る」
俺は頷く。
どんな者にでも、永遠はあり得ない。
俺も、サタンも、この世界も。
「その時のためにも、ワタシと同等、
あるいはそれ以上の力を持つ後継者が必要となる。
アルルはまさにその後継者を生み出すに相応しい。
そういう面でも、メンタル面でも、彼女以外に適切な人物はいまい」
これにも同感だった。
なぜだかは知らないが、サタンは“アルル”一個人にこだわる節がある。
どうも俺のように単純に、
アルルの魔導力のみ手中に入れたいわけではないように見える。
サタンがアルルに執着していることだけは確かだった。
「そして」
サタンは繋ぐ。
「これはワタシ個人の感情だけではない、この世界全土に渡る問題だ。
だから私は、ルルーに期待させるような真似は一切できない、否」
一つ、ため息じみた息を吐いた。
「してはいけないのだ」
俺は短く息を吐いた。
この頼み事を断る気はなかった。
サタンの言うことは判る。
サタンの存在は、大きすぎる。
それを自覚し、理性的に行動するのは、恐らく一番正しいやり方だ。
加えてルルーは俺の教え子でもある。
生徒のメンタル面をカバーすることは、ある意味俺の務めだ。
俺はいつまでも頷きはしなかった。
何故だかは判らない。
大きなわだかまりが胸に引っかかる。
何か、何かがある。
何かがダメなんだ、何かが気にくわない。
はっきりしない。
「らしくねーな……」
もどかしさが、口を出た。
「は?」
俺の回答を待っていたサタンが、眉をひそめる。
そうさ、らしくない、全くもって。
「貴様らしくないな、サタン。
何でも自分の手でどうにかしないと気が済まない、意外なほどに几帳面なあんたが、
俺に私事を頼んでくるとはな。
今まで元気に世界の統治と私欲のために走り回っていた貴様は、何処へ行った?
とうとう老いぼれじじいに成り下がったのか」
らしくないぜ。
今までの俺は何処へ行った?
何でも白黒つけていた俺だよ。
気に入らないことは気に入らない。
やりたいことはやる。
流されるなよ、“見失う”ぞ。
俺の答えは、決まった。
「悪いが、断らせてもらう」
「シェゾ」
退室する前に、俺はサタンに呼び止められた。
奴は俺が断ることを多少は予想していたのか、あまり動揺した様子はない。
俺の答えを聞いたときには、さすがに驚きを露わにしたが。
俺はドアノブに掛けた手をそのままに、頭だけサタンを振り返る。
「何だ?」
「今日、今ワタシの頼みを断ったのだから、暇であるな?」
「ああ」
「では」
サタンは、笑みを浮かべて言った。
「ガラスの修理、今日中に頼むぞ」
俺は硬直した。
予備のガラスは確かに校内に用意されている。
だが俺は、専門の技術者ではないのだ、素人の知識と技術でどうにかするのは、
さすがに骨が折れる。
おまけに魔導学校の建築構造はさすがサタン、かなり特殊だ。
魔法による特殊な加工もかなりされている。
俺だからこそ、何とか……やると宣言するが、普通無理だ、絶対無理だ。
サタンは、校長の席に座ったまま、微妙な微笑みを浮かべている。
後には引けないと、俺は悟った。
「判ったよ」
半ば諦めと共に、言い捨てた。
校長室から出た後には。
「この野郎」
誰にも聞こえないように、吐き捨てた。
俺は結局、こういう役柄かい。
***
電気も点けずに、私は机に蹲る。
机はヒンヤリと冷たいのに、自分の体は妙に火照っていた。
泣いたからかしら。
嫌に冷静な心の部分が、ポツリとつぶやく。
もう何も考えたくなくて、そこで思考を遮った。
がむしゃらに走っていたら、いつも来慣れた場所に来てしまった。
教室。
今日窓ガラスが割れる騒ぎがあった上に、
この食事時の時間帯にいる物好きは誰もいなくて、教室は無人だった。
正確には、私がいるわけだけど。
心が空っぽのままじゃ、誰もいないのと同じ。
私は私じゃないわ。
足で机を蹴飛ばした。
軽い音がする。
私の悲しみは、怒りは、こんなものじゃない。
もっと大きいの。
何もかも、壊してなくしてしまいたかった。
でも、もう、それすらも消えていく。
どうでも良くなってきてしまう。
私、今まで何をしてきたのかしら。
大きな割れた窓から入ってくる月明かりと消かけた日光が
、笑うみたいに教室を照らしていた。
窓の反対方向が、急に明るくなる。
誰か、人が廊下を歩いてきたんだわ。
暗くなった廊下に明かりはなく、誰かが明かりを点けないといけない。
点けなければ暗いまま、何も見えないから。
私が明かりを点けようとしないのも、何も見なくて済むからだもの。
廊下の向こうからやってくる人影を、開いたドアからボンヤリ眺めた。
闇の中にいる私には、きっと気づかないわ。
そのまま素通りしていくんでしょう。
だったら私には何も関係ない。
ただ、眺めているだけ。
人影はドアの前を通り過ぎていく。
黒い人影だった。
人影は止まった。
「ライト!」
教室に明かりが点いた。
闇に慣れた瞳が、痛む。
まさか、こんな時間に教室に来る物好きがいるなんて。
やっぱりここからも移動しないとダメかしら。
きっとここにいる理由を聞かれるだろうし、立ち去れとも言われるだろう。
今はそんな判りきった言葉、聞きたくない。
判ってるから、何も言わないでよ。
私は人物を見ようともせず、ただ席を立った。
むしろ相手に私の顔を見られないように、注意していた。
たくさん泣いた。
誰にも、今の私を見られたくない。
こんな無様な姿を、光の下にさらしたくはない。
なのに、なぜあなたは呼び止めるの?
「ルルーか?」
なぜあなたが呼び止めるの?
「シェゾ……」
私は声の主を呼んだ。
冷たく、淀みのない、低い声が、私の心を揺らす。
愛しい人が、サタン様が私の元へ来てくださるなんて期待は捨てていたけど、
この男がやってくるなんて想像もしなかった。
心の底で、私は驚いていた。
辛うじて、表に見せるような失態はしなかったけど。
耐えていないと、何かが溢れ出しそうだから。
シェゾは教卓の上を見た。
そこには私のレポートが置いてあった。
何となく教室に来てしまい、ただいじけるのはしゃくだったから、
ついでに置いておいたのだ。
教卓の上なら、シェゾは見ると思って。
別にどうでも良いことだったけど、どうでも良いことほど上手くいってしまったりする。
現にレポートは無事、シェゾの手に渡ったわけだし。
レポートを手に取り、シェゾはおもむろにそれを読み始めた。
先に声を掛けてきたくせに、何も言わずに別のことをし始めるなんて、
相変わらず自己中心的な男ね。
最近では性格が改善されたと思っていたのだけれど、シェゾはやはりシェゾらしい。
特に話しかける気にもなれず、私はそのまま教室を出ようとした。
また、妙なタイミングで声がかかる。
「ん、まずまずといったところだな、ルルー」
名前まで呼ばれては仕方がない、私は立ち止まる。
「ただ、見方が主観的すぎるな。
もっと客観的に見ろ。
それか、主観的な意見を突き通すかするんだな」
あまりにも抽象的な意見に、私は眉をひそめた。
元からではあるけど、シェゾの考えていることはよく判らない。
「言うなればだ」
私の心中を察したのか、シェゾは切り出す。
「周りを見るのが怖くて、目を瞑っているガキだな」
ムカッ。
何て失礼な、レディーに向かってガキはないでしょ、ガキは!
「自己中心的でお子様みたいな性格の、あんたにだけは言われたくないわね」
「俺もお前だけには言われたくないよ」
ああ言えばこう言う。
私は入り込んできた些細な怒りに、段々ムカムカしてきた。
人が悲しみのドン底にいるって時にいきなり部屋に入り込んできて、
明かりを灯して、その上お説教だなんて何?
あなたは一体何様のつもり?
「ほっといてよ!」
私はムカムカを吐き捨てるようにしていった。
もう、自分でも訳が分からない。
一人でいるのが嫌で、悲しかったはずなのに、近付いてきた人間は拒みたくなる。
誰も、私を判ってくれないから?
違うでしょ?
でも、答えは判らない。
「ルルー」
シェゾが私の名前を呼ぶ。
そう、私はルルー。
でも、何が私なの?
段々訳が分からなくなって、私は窓際に逃げた。
お願い、考えさせて、整理させて。
自分で自分が判らない。
シェゾは追いつめて来るみたいに歩み寄ってきた。
私はその分、後退る。
シェゾはもっと近寄ってくる。
私は、もっと離れようと思った。
「ルルー、バカ野郎、それ以上さがるな!」
シェゾの叫びを聞いて、私はガラスのはめ込まれていない窓のことを思い出した。
私の体は、冷たいものに触れた。
形のない、体を包み込んでいきそうな物。
それが外気だと気づいたのは、一瞬後。
私は夜を迎える世界へと投げ出されていた。
◆最終話:「再び」
ここは何階だったかと、頭は必死に思い出そうとする。
ただ考えなくても判ることは、地面が遠いこと。
まだ、やりたいことは全然やっていないのに!
サタン様にだって、振り向いてもらってないのに!
そうだわ、アルルにもまだ謝ってないじゃない。
随分勝手なことを言ってしまって、きっとあの子は困ったわ。
レポートは、シェゾに渡したから良いとして。
とにかく、このまま死ぬのは絶対いやよ!
地面との距離があるせいか、色々なことが思い浮かんだ。
ミノのこと、ジイのこと、お父様やお母様のこと。
走馬燈はなぜか流れなくて、やり損ねたことばかりが思い浮かぶ。
だから最後の方にはもう、私とサタン様の結婚式の情景だけが思い浮かんでいた。
色々なことが合わさって、叫び声が自然に出た。
「シェゾのバカーーーー!!」
「何でだよ!」
返事は、思いの外近くから返ってきた。
「え?」
疑問に思って目を凝らすと、上方に人影が見える。
闇のように黒い服、月のように光る銀髪。
海のように深い、青の目。
紛れもなくそれは、見知った人物、シェゾ・ウィグィィ。
魔法を使っているのか、落下速度は以上に速かった。
あっと言う間に、私の隣に位置する。
感想を思いつく間もなく、シェゾの呪文詠唱だけが耳に入ってきた。
「レビテイション」
私の知らない魔法を、シェゾは放つ。
すると、私の体は浮遊した。
「間一髪だな……」
シェゾの疲れた声に応じて、下を見れば、地面は随分と近くなっていた。
後数秒で、私は潰れたトマトのような遺体になっていたことだろう………。
考えると、ぞっとしない。
私は顔をしかめて、シェゾの服を握り締めた。
「もっとしっかり掴まっておけ。
その方が、魔法を掛けやすい」
私は言われた通りに、シェゾの腕にしがみついた。
「いや、痛いからもうちょっと手加減してくれ」
一々注文の多い男である。
一瞬間を置き、私達は再び浮上した。
高く、高く、どんどん上がる。
周りの風景が、ゆっくりと下に流れ落ちた。
教室も、眼下に下った。
「あれ?」
シェゾは一体何をする気なのかしら。
未だに止まる気配はない。
地面付近にある物は小さく見えて、ついには学校の屋上さえ足下に来てしまう。
変な感じがした。
どんなに高くても、私が見られるのは、屋上から眺める風景まで。
小さい頃はジイと一緒に気球の乗せてもらったけど、
見知った場所の空を漂うのは初めてだった。
空を、一蹴りする。
当然底には何も、足場になるような物はなくて、気球とは大違い。
心は不思議と安定していて、恐怖はない。
シェゾは何を考えているのか、相変わらず判らないけど、落とされはしないだろうし。
私は、しばらく浮上していく感覚を楽しんでいた。
魔導学校が小さく見えて、その四方に魔導学校のある魔導島の名所が見える。
魔物が住まう広大な地、東の森。
琥珀の精霊が宿っていると言われる、古く美しい神殿の建つ北の湖。
古くから存在する魔神が封じられている、西の洞窟。
魔導島の人気スポットである、活気の溢れる南の町、コスターチェ。
薄暗い中でも、不思議と眼下に見渡せた。
どれくらいしてか、不意に上昇が止まる。
「これくらいで良いか」
シェゾを見上げるついでに目に入った星空は、とても近くに見えた。
「魔法使いついでだ、見方を変えるにはまず立ち位置を変えてみろ。
同じ風景ばかりでは、自分が何処にいるのかすらも判らないだろう?」
私は今まで、きっと森の中を歩いていた。
同じような木々ばかりが生い茂っていて、自分が進んでいるのかも判らない。
木々で辺りを遮って、他の物も見えない。
森の中を歩いてばかりじゃ、疲れるでしょ。
たまには止まってみるのも良いんじゃない?
木に登ってみたら、違う物が見えるかも知れない。
木の根本に腰を下ろせば、同じに見えていた森の変化が掴めるかも知れない。
ずっと同じじゃ疲れてしまう。
「うん、そんな感じ」
今の時頃は、夕暮れも過ぎ去り、夜を迎えるだけの世界。
微妙であまり情緒もない情景だけど、それも良いかと思う。
この夜で一番すてきなのはサタン様。
でも他にもすてきな物はたくさんある。
ただ私の場合は、どうせなら一番すてきな人を手に入れたいだけ。
それが、私。
「ありがとう、シェゾ」
不意にポツリと言ってみれば、面食らったようにシェゾは目を見開いた。
ちょっと腑に落ちない反応だけど、今は目を瞑っていてあげる。
あなたが驚く顔よりも、眼下に広がる世界を見ていたいから。
今は一息つきましょう。
そうしたら明日からまた、私は走り出せるわ。
◆エピローグ:自分のやり方
朝、朝食を済ませた後に、みんなでわいわいするのはいつものこと。
最初は、集団生活に慣れない私にとって苦痛な騒音だってけど、
今では微笑ましい朝のセレモニーのようなものになった。
今日は話題の一つに、昨日壊れた窓のことがよく上がっている。
窓は翌日には綺麗に修復されていて、
魔導学校の偉大さを生徒に改めて印象づけていた。
それを、担任の教師が止めるのも、いつものことだ。
今日も、扉の開く音と同時に、生徒の話し声がピタリと止む。
教室へと入ってきたのは、黒い服を着た背の高い人物だった。
「諸君、おはよう。
去年私の担当だった生徒は知っていると思うが、私はルシファーだ」
しかししかし、黒い服違い!
現れたのは、黒いローブを顔の半ばまで被っていることで有名な、
ルシファー先生だった。
私も昨年ルシファー先生が担任だったので、よく知っている。
いや、お茶目で格好良く優しい教師として、全校生徒に知れ渡っている先生だ、
ほぼみんな彼のことを知っているに違いない。
私はとても懐かしい感覚を覚えたけれど、素直に喜ぶ気にもなれなかった。
別の先生が担任の代わりに来るなんて、理由は一つしかない。
「このクラスの担任であるシェゾ先生は、今日体調不良のためお休みだ。
今日一日代わりに私が担当するので、みんなよろしく頼む」
『は〜い!』
みんなが返事をする中、私は何も言う気になれなかった。
私の知る限り、風邪すら一度も引かなかったシェゾが、体調不良だなんて。
昨日話をしただけに、ちょっと気にはなった。
その時は別に何も異変はなかったのだけれど……。
「ねーねー」
近くの席であるアルルが、私にこっそり声を掛けてくる。
「珍しいね、シェゾが体調不良だなんて」
私は頷き返した。
昨日空中遊泳させてもらったし、お礼もかねてお見舞いにでも行こうかしら。
きっとビックリするでしょうね!
「アルル」
「なあに?」
私は、驚く顔を想像して、思わず顔をほころばせた。
「一緒にお見舞いにでも行かない?」
アルルはもちろん、驚きの声を上げた。
俺は見舞い品の、魔導酒を少々飲み込んだ。
昼間からはまだ酒を飲む気にはなれない。
そうも言っていられない状況ではあるが。
「シェゾさん、ちゃんと飲まないとダメですよ。
今のシェゾさんは、魔導力が欠乏しているんですから」
良いながら、キキーモラはサタンから預かった魔導酒を、俺の持つコップに注ぐ。
キキーモラは、サタンが見舞いに来られないので、代理に教員の寮へ来ていた。
さすがに校長はそこまで暇ではないらしい。
そもそも俺がこうしてベッドに寝そべっているのは、魔導力を使いすぎたからだった。
ルルーを抱えての浮遊と、直後のガラス修復作業が痛かった。
実は浮遊の魔法は、かなり魔導力消費が大きかったりする。
消費魔導力量は対象物の質量に比例していて、
高度や移動速度にも大きく関係がある。
ルルーと俺の体重を、相当な高度まで持ち上げたその消費量は、
冗談じゃないくらいだ。
何より、俺はつい最近まで、浮遊の魔法は使えなかった。
以前サタンが使っていたのを見て面白そうだったから、教えてもらったばかりだ。
まるで初心者なのに、いきなり無茶な使い方をしたため、そのダメージは倍増する。
かくして俺は、魔導力不足に陥ったというわけだ。
一気に魔導力を消費したために、体がついていけなくなった上、
修復作業は夜中までかかった。
結局ルルーのことも気になって、夕食前に教室に行ったのもいけなかった。
おかげでルルーに教室に来た理由を問われ、思わずガラス修復のためだと答えた。
後には引けず、作業をやり出したら、夕食も食いそびれ……倒れた。
当然だと、自分でも判る。
一応仕事を押しつけた身として様子を聞きに来たサタンからも「阿呆か」と言われた。
屈辱的、とまでは言わないが、ひたすら頭に来たので、
回復後何らかの仕返しをしてやろうと思う。
魔導酒をまた一口飲み込んで、俺はため息をついた。
「な〜に悲観的にため息なんかついちゃってるんです。
自業自得でしょうに」
キキーモラの的確なツッコミは、弱っている人間の精神に的確なダメージを与えた。
魔導力の回復には、精神面も重要だというのに、痛いことをする。
キキーモラはまったく気にせず、ベッドの横にバスケットを置く。
「では、この中に食べ物が入っているので、お腹が空いたら食べてください」
そう言って、彼女は席を立った。
おいおい、病人を置いてもう行くのか?
「わたしもそれなりに忙しいので。
それに」
部屋の外へ出て、ドアを閉める前に、一言だけ残していく。
「シェゾさん、騒がしいのはお嫌いでしょう?」
そして、ドアは閉じられた。
俺はドアの方を見つめ、しばらく沈黙した。
感心していたのである。
まさか、ほとんど面識のないキキーモラに、的確な気遣いをされるとは思わなかった。
さすが、サタンの世話をしているだけのことはある。
早速バスケットの中を見てみれば、そこには本も一緒に入っていた。
俺の見たことのない魔導書だ。
恐らくサタンの部屋にあった物だろう。
開いてみれば、間に小さな紙切れが挿んであった。
「人生、日々勉強」
走り書きの字であったが、確かにサタンの筆跡だ。
「確かにな」
小さく呟いた顔に、笑みが浮かんでいるだろう事が、自分でも判る。
俺は小さな紙をまた本に挿み、魔導書を読みふけることにした。
ああ、些細な気遣いに感動していたところだったのに。
「どうしてお前らは、五月蠅く喚くんだ」
俺の嘆きに、五月蠅い三人組(得体の知れない生物込み)が振り返りる。
「なんだよ〜、ボク等は心配して、お見舞いに来たんじゃないか!」
と、言う割には俺のことはそっちのけでトランプ占いをしていたアルルが言う。
隣では無意味に、アルルに懐いているサタンのペット、
カーバンクルがぐーぐー鳴いている。
黄色くてちっこい体を折り曲げていることから、同意しているのだと思われる。
授業終了の鐘が鳴ったしばらく後、奴らは入ってきた。
しばらくは今日の授業の様子を報告してきたのだが、その内飽きたのか、
ただ部屋に居座っているだけになってきた。
せっかくキキーモラが気の利いた心遣いをしたというのに、
奴らは台無しにしてしまったわけだ。
「はぁ……」
「何よ、何ため息なんかついてるの」
誰にも聞こえないようにしたはずなのに、さすが地獄耳。
アルルより遠い所にいたルルーには聞こえてしまったらしい。
ルルーは席を立って、俺のベッドの脇に腰掛けた。
ルルーの足下辺りに置かれているバスケットに手を伸ばし、果物ナイフを手に取った。
彼女の手元で、ナイフが光る。
なまじ容姿が良いせいで、俺はギクリとした。
刺されるかも知れない、そんな危険な雰囲気があった。
「リンゴ」
口を開いたルルーの言葉は、唐突だった。
「剥くわよ」
成る程、そういうことか。
見るとルルーの左手には、真っ赤なリンゴが握られていた。
別に腹が減っているわけでもないし、そう言ったわけでもないが、
一応ルルーなりの心遣いなのだろう。
不器用な方法だけれど。
まったく不器用さ、俺もお前も、他の奴らも。
容量を得ない、簡単でもっとスマートなやり方はたくさんあるってのに、
やっぱり不器用になる。
そしてすれ違う、悲しむ、怒る、また面倒臭いことが起こる。
どうして賢く動けないんだか。
「あ、ルルー、リンゴ剥いてる〜!」
「ぐっぐぐ〜!」
「こら、あんた達のためにやってるんじゃないんだから、つまみ食いはしないの!」
アルルとカーバンクルがやってきて、俺の周りはさらに五月蠅くなった。
病人(?)相手に、気を遣う気があるのかお前は。
いや、きっと。
これがアルルなりの心遣いなのだろう。
カーバンクルはただアルルにくっついているだけのような気がするが……。
見舞いに来るだけ、気持ちがあるということにしておこう。
五月蠅い騒音達の中で、俺の顔は無意識の内に笑っていた。
不器用だけど、それが自分のやり方。
器用なやり方よりも、よっぽど良いときだってたまにはある。
それに、器用なだけだったら、きっとそれはつまらない。
不器用な方法だと判っていても、きっと無理に変えていくことはないだろう。
それが、自分としての、やり方だ。
だから私は、あなたを好きでいられる。
Fin
あとがき
Pacoさんからの2000hit切り番リクエストです!
リクエスト内容は、「魔導物語の小説」でした。
シェルルを目指して頑張ったのですが、無理でした。
自分がいかに恋愛物の小説を書けないのかを痛感した次第です。
頑張りに頑張った結果、SSとしては異常に長いむしろ短編と示したくなるような
長さになってしまいました……もうまとめるどころの問題ではありません。
オマケに宣言した期限を思い切りすぎています。
すみませんでした!
遅くなりましたが、どうぞ受け取ってください。
リクエスト、どうもありがとうございました!
※Pacoは一時期の私のHN※